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天王星の外側の惑星が海王星で、太陽からおよそ30天文単位、45億kmのところを回っている。赤道半径は2万4764kmで地球の約3.9倍もあり、天王星とほぼ同じ大きさを持っている。 海王星のスペクトルは、天王星よりさらに強いメタンの吸収帯が見られるが、大気の主成分は水素とヘリウムと考えられている。 地球から見たときの最大光度は7.8等なので、肉眼では見ることができない。 見るだけなら双眼鏡でもかろうじて見えるものの、恒星とはちがった青緑色の円盤像を見るには、口径15cm200倍の望遠鏡がほしい。1995年現在、いて座のなかを移動している。海王星には、近年までトリトンとネレイドの2つの衛星が知られていたが、1989年、ボイジャー2号が6個の衛星を発見し、現在8個までが知られている。このうち、もっとも明るいのは13.6等のトリトンで、条件がよければ25cmクラスの望遠鏡で見える。海王星の発見は、天王星のときのように偶然見つけたのではなく、いわゆる天体力学の勝利といえるものだった。18世紀までは、太陽系で最遠の惑星は土星とされていたが、1781年3月13日、W.ハーシェルによって天王星が発見されると、研究者たちの多くの目が向けられるようになった。動きを追ったり、かつて観測されていたことがなかったかどうか、軌道をさかのぼって調べられた。その結果、イギリスのJ.フラムスティードやブラッドリーらによって、すでに20回も観測されていることがわかった。その後も研究が続けられ、1820年代になると、新しい観測結果と古い資料の山ができ、天王星の運動が詳しく調べられた。ところが、実際に観測した結果と計算にずれが生じ、研究者のなかには、天王星の外側にも未知の惑星があって、天王星の動きに影響を与えていると推論するようになった。ブーバルもその1人だった。しかし、ハーシェルが発見した古い資料まで入れて計算すると、観測とのずれは大きくなるばかりで、結論を出す前にこの世を去ってしまった。天王星が発見されてからおよそ60年がすぎ、相変わらず天王星は原因不明の摂動をしてきたが、この問題に真剣に取り組む若い研究者が現れた。フランスのU.ルベリエである。彼は、1781年から1845年までの295回の観測データを整理し、木星、土星の摂動作用を除く計算をした結果、わずかな規則的なずれを見いだした。これをもとにして、さらに天王星におおよぼす摂動を計算し、未知の惑星の大きさや位置を求めたのである。1846年のことだった。ルベリエは、すぐにパリ天文台に観測を依頼した。けれども、そのときには確かめることはできなかった。そこで9月8日、ドイツのベルリン天文台のJ.ガレに手紙を出した。手紙は郵便馬車で、9月30日にガレのもとに届けられた。ガレは手紙を受け取ると、夜になるのを持って、すぐさま予報されたやぎ座に望遠鏡を向けた。光度8等級の青緑色をした未知の惑星である海王星は、すぐに発見された。ルベリエが予報した位置から、わずか52分の位置にあり、この間わずか30分たらずだったという。一方、イギリスにも未知の惑星の存在を確信する若者がいた。ケンブリッジ大学の学生だったJ.アダムズは、ルベリエより1年も早くこの位置を予報していたのである。彼は、このデータをグリニジ天文台のエアリ台長に報告していたが、仕事に追われていたエアリは、その報告を1年もそのままにしていたのである。ところが、ルベリエが新惑星を発見したとの知らせを聞いてエアリは驚いた。アダムズが予報していた位置とよく似ていたからだった。イギリスではエアリを非難するとともに、発見者はアダムズだと主張した。同じように、フランスではルベリエ、ドイツではガレを主張した。しかし、3人はこの騒ぎに巻き込まれることなく譲り合い、結局、新惑星発見の栄誉は3人に与えられることになったという。新惑星のネプチューン(海王星)という名前は、ベルリン天文台の台長J.エンケが提案したもの。ところで、海王星にも輪があることが確かめられている。掩蔽観測からその存在が予想され、1989年のボイジャー2号で確認されたが、4本の輪のうち3本にはガレ、ルベリエ、アダムズの名がつけられている。
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