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たいそう美しかったようだが
処刑までの一年二ヶ月間幽閉されていたために処刑の時は相当やつれて美しいどころではなかったようだな。
断首台に上る時急いでたために死刑執行人の足を踏み
「あら失礼、わざとではありませんのよ」
と言ったそうだ。
ちなみに彼女は王妃としての威厳な様が有名だが
フランス革命が始まる以前は相当遊び好きで贅沢三昧。
軽薄な王妃だったそうだ。
毎晩賭博場に出向いて何億という金をすって次の明け方にようやく帰宅するという生活だったらしい。
しかし彼女の遊び好きには理由があった。
夫が不能者だったために夫婦生活を満足することができなかったのだ。
そして時代が革命期に入るとそんな王妃は
「赤字王妃」とか「オーストリア女」とか言われて国民に罵られるようになった。
ここで面白い話をもう一つ。
パリで暴動が起きた時、貧乏人達が
「パンをよこせ」とデモ行進を始めた時彼女は侍女と次のように会話した。
「あの人たちは何を騒いでいるのですか?」
「パンがなくて飢え死にしそうだと言うのです」
「パンがないですって?それならお菓子を食べればいいではありませんか」
傑作だ!何だこの頭の悪さは!
彼女は民衆のことに関してこの時まで全くの無知だったのである。
そして結局革命の中捕らわれの身となった彼女は夫を失い、自分が裁判にかけられる時(37歳)には見事な金髪は見る影もなく白髪となっていたそうだ。
彼女は20時間にも及ぶ尋問の末死刑判決がくだされ義妹に対して感動的な長い遺書を残したらしい。
彼女はこんな台詞も言っている
「すべての敵に、わたしに加えた危害を許します。
神よ、あなたがたから永久に別れなければ
ならないことで、胸が引き裂かれそうです…」
かくして彼女は白い肌着や白い囚人服、白いナイトキャップ、全身を白の衣に包んで3万の兵が整列する中革命広場へ向かった。
そしてギロチン。
つまりマリー・アントワネットが王妃としての威厳をみせたのは捕まって幽閉されてから殺されるまでの間だけということ。よって彼女は威厳ある王妃としての姿は裁判と死刑の時しか民衆にさらしていないのである。
以上の内容は全て実話ですからご心配なく。
マリー・アントワネット好きのテー主さんのために書きました。ご存知なかったこともいくつかあったでしょう。
喜んでもらえれば光栄です。