旧陸軍第6師団の文集発見 “虐殺”否定する貴重な資料
【歴史】旧陸軍第6師団の文集発見 “虐殺”否定する貴重な資料 南京戦の実相
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1059685673/l50
師団長が“南京大虐殺”の責任を問われて処刑された旧陸軍第六師団(熊本)の将兵が南京戦の
模様をつづった文集が、東中野修道・亜細亜大学教授の手で発見された。同師団が相次ぐ戦闘と行軍に
追われ、捕虜虐殺などを行っている余裕すらなかった状況がうかがわれる。(石川水穂)
(中略)
六師団は熊本、大分、宮崎、鹿児島県の南九州出身の兵士らで編成され、南京の城壁に縄ばしごを
かけて城内に突入した強力な軍隊として知られる。戦後、師団長の谷寿夫中将は中国・南京の
軍事法廷に連行され、「一九三七年十二月十二日から二十一日までに集団虐殺十九万人、
中華門付近の死体埋葬数十五万人、被害総数三十余万人」に及んだとして絞首刑に処された。
だが、『転戦実話』によれば、六師団が突入した中華門付近には「約二百五十の敵死体」が目撃された
だけだ。しかも、六師団は南京陥落から三日後の十二月十六日には南京から揚子江上流の蕪湖に
転戦しており、十日間も南京にとどまっていなかった。
投降してきた中国軍捕虜に対しては、捕虜収容所に収容したり、苦力に使ったり、解放して帰郷を促したり
する場面が文集に記されている。
谷中将については、蕪湖で師団長を交代するさい、別れを惜しむ兵士らのために午前二時まで
揮毫(きごう)に応じる様子などが記されている。
戦後の南京軍事法廷では、六師団の中隊長だった田中軍吉大尉も“三百人斬り”の罪をきせられ
処刑されているが、『転戦実話』では、田中大尉は軍刀をかざして突撃の先頭に立つ勇敢な指揮官として
描かれている。
文集を発見した東中野教授は「壮烈な戦闘の光景や戦場での兵士の偽らざる心境がつづられ、
南京戦の実相を詳しく知ることができる。“虐殺”がなかったことを示す貴重な準同時代記録といえる」と
評価している。http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/etc/030731-3etc.html