真実は
浜崎さんの場合には、彼女のサイトなどを見ると、その時の誤解を解くためのお知らせは、社長名義で掲載されているので、それで済んだといえば済んだ、ということになる。ここには、浜崎さん本人からぼくが聞いたのとほぼ同じ内容が、「ちゃんとした文章」で書いてある。しかし、「ちゃんとした文章」では伝わらないことも、やっぱり、あるのだ。浜崎さんは、「前のほう座らないで下さい。今座ってたよ、ねぇどう思う?感じ悪いよね。」と、いうようなことを確かに言っている。きっとそれはライブの記録などにも残っているだろう。ただし、それは、「ちゃんとした文章」で言うところの、「関係者」に向かっての発言だった。もっと自分の言葉でいうと、こうなる。「友だちというか、わたしにとっては、 もう東京に来てからずうううっと親しくしてる そういう人たちなんですよ。 わたし、けっこう家族とか複雑だったから、 その人たちが家族みたいなものなんです。 でも、そういう人たちって、 ああいう場所では照れがあって、 みんなと同じように立って わぁわぁやってくれないんですよ。 そういう身内的な人を前のほうのいい席に、 招待しちゃってて、他の人たちに悪いなって。 そのことがちょっと気になって、 冗談めかして、立てよみたいに言ったんです」そこに身体の不自由な人が混じっていたの?と、ぼくは検事のようなことを訊いた。「そっち側は、いないです。 入り口に遠い側だから、いないはずなんです。 身体の不自由な人の席は、 出入り口に近い方なんです。 それは何かあったとき危なくないように、 そういうふうに席を取ってあるんです」どうしてそこまで詳しく席のことを知っているのだ。ぼくは、さらに訊いてしまった。それに対しての彼女の答えは、書かないことにする。ただ、彼女がそれなりに複雑な育ち方をしてきたせいか、なにかに不自由をしている人たちについて、とても格別な思いがあるということだけは、書いてもいいだろう。だからこそ、ここで問題になっている誤解について、まったく逆の誤解を受けていることについて、特別に落ち込んでしまったということらしい。ああ、この気持ちは、いくら正式に会社がコメントを出してくれても、行き場がないままに澱のように溜まっているだろうな、と、ぼくは思った。おそらく、1万人以上の観客が、事実を事実として、その目や耳で知りえたことなのだから、やがて誤解は解かれることだろう。しかし、浜崎さん本人の心のなかでは、自分で言えなかったことの無念さは、残ってしまうだろう。これは、「自分に嘘をつく」ことではないが、「自分に沈黙を強いる」ことだ。大人になったり、社会的に大きな存在になってしまった人はみんなやっていかねばならないことなのだろうが、実はけっこう辛いことでもある。浜崎あゆみさん、自分が受けた誤解について、それを解くのを人任せにせざるを得ないことを悩んで気にしている。まるまるホントのことを、自分の言葉で言えたら、どんなにか気持ちがいいだろう、と思いながら、きっと落ち込んだりしていたのだろう。